大阪万博記念公園「平和の鐘」第9回鐘打式典

2025.10.24の国連デーに平和の鐘の第9回鐘打式典を大阪万博記念公園で行いました。
当日は好天に恵まれ、爽やかな環境の中で開催致しました。
高瀨聖子代表の挨拶のあと、元衆議院副議長の中野寛成様のご祝辞、衆議院議員奥下剛光様、大阪府知事吉村洋文様のご祝辞の代読、関西担当特命全権大使三澤康様のご祝辞、吹田市長後藤圭二様のご祝辞の代読、大阪府議会議員の杉江友介様、石川たえ様、大竹いずみ様のご祝辞、大阪府教育長水野達朗様のご祝辞の代読、大阪万博記念公園事務所の濱田雄一郎所長様よりご祝辞を頂きました。また中川千代治の出身地の宇和島市長岡原文彰様からのご祝辞の披露、元衆議院議員の左藤章様、とかしきなおみ様の祝辞が披露されました。ご祝辞では戦後80年となる中、皆様今の不穏な世界情勢を心配し、世界平和を願っておられました。
平和の鐘の鐘打では皆さま手を合わせ平和を願って鐘を撞いておられました。最後に泊三夫理事が締めくくりの挨拶をし、記念撮影をして滞りなく式典が終了しました。
国連スペシャルデーの式典に出席

2025.8.22大阪・関西万博国連パビリオン主催による式典と、博覧会協会主催の午餐会にご招待され、出席致しました。式典には桂理事と髙井理事も同席致しました。式典は承子女王殿下もご臨席され、宮地拓馬外務副大臣挨の挨拶、アントニオ・グテーレス国連事務総長の挨拶のあと、映像によるヨーヨー・マのチェロ演奏、国連オーケストラによるベートーヴェンの交響曲第3番英雄の演奏、大阪関西学院大学混声合唱団による合唱がありました。
グテーレス事務総長,日本政府国連代表部の山﨑和之国連大使に1年ぶりにご挨拶が出来ました。続いて行われた博覧会協会主催の午餐会では、逢沢一郎衆議院議員など普段お目にかかれない著名な方々が大勢参加されており、ご挨拶させて頂きました。午餐会の後、グテーレス事務総長は国連パビリオンを訪れ、平和の鐘をご覧になりました。国連パビリオンの市川奈緒美様、博覧会協会の福原康二様にはいろいろとお気遣いを頂き感謝申し上げます。
高校生が大阪・関西万博で発表

7月19日・20日と大阪・関西万博で、宇和島東校の生徒さん6名が、元宇和島市長で1954年に国連に平和の鐘を贈呈した中川千代治の平和活動について発表しました。
午前2回、午後2回は国連館の中のイベントルームでプレゼンを行い、それぞれ3名の生徒さんが交代で素晴らしい発表をしました。午後の1回は国連館の前で手作りのボードを使って発表しました。
国連館のマーヘル・ナセル代表は挨拶の中で、中川千代治の活動を称賛しました。国連平和の鐘を守る会の髙瀨代表も毎回挨拶をし、中川千代治の思いを伝え続けました。
毎回沢山の方が参加し真剣に聞いて下さり、平和の鐘を鳴らして下さいました。中川千代治の平和運動にご理解を頂けたと思いました。宇和島東校の楠和仁先生、都築果林先生には大変お世話になりました。国連平和の鐘を守る会の理事、監事をはじめ多くの会員も参加して高校生を応援しました。
国連館のスタッフの皆様にはご協力、お気遣いを頂き、この様な機会を作って頂いたことに心より感謝しております。
大阪万博記念公園 第7回平和の鐘 鐘打式典

9月21日大阪万博記念公園で第7回平和の鐘鐘打式典を行いました。式典に先立って平和の鐘のお清めを致しました。
式典には21ヵ国の在日大使館や領事館の代表の方をはじめ、100名を超える方が出席して下さり、盛大な式典となりました。また、国連平和の鐘の発祥の地、宇和島市から岡原市長が出席して下さり、中川千代治も大変喜んでいたと思います。式典は、髙瀨代表の開会挨拶の後、ご来賓からご祝辞を賜り、参加の皆さん全員に平和の鐘を撞いて頂き、世界に向けて平和の祈りを発信しました。
鐘打の後、12か国の在日大使や大使夫人で構成された合唱団が、素晴らしい声で平和を願うコーラスを披露して下さいました。最後に泊理事の閉会の挨拶があり式典終了後、参加者の皆さんは隣のフェスティバル会場で、「平和の鐘の音がこだまする竹林」を散策して、竹林の音を楽しまれました。
2023年国連平和の鐘式典に出席
9月13日ニューヨーク国連本部での平和の鐘の式典に出席しました。13日は小雨だったため、式典は平和の鐘の見える建物の中で行われました。
アントニオ・グテーレス国連事務総長とデニス・フランシス総会議長が鐘を撞き、石兼公博特命全権大使、メリッサ・フレミング国連事務次長の挨拶がありました。日本庭園を造った阿部紳一郎さんも参加され、百歳の千玄室大宗匠さんの献茶式が催されました。午後は国連日本政府代表部を訪問し、石兼公博特命全権大使から、在外公館長表彰を受けました。また、大使公邸では大使ご夫妻の温かいおもてなしを受けました。
12日に羽田を発って13日の式典に出席し、14日ニューヨークを発って帰るという強行スケジュールでした。杖と車椅子を使う旅でしたが、道中は誰からも親切にして頂き、人の優しさが身に染みた旅でした。
代表 髙瀨聖子



















